若獅子の塔(少年戦車兵学校)
「撮影がありました」
昨日、SBSさんの「イブアイ」さんの撮影がありまして、その放送日は9月4日(火)の16:45から!
牧場でお仕事体験的な!
ぜひご覧くださいませぇ!
「若獅子神社」※まかいの牧場から車で4分
富士宮市の上井出にあります、若獅子神社。
太平洋戦争の際、少年戦車兵学校がここにあったのです。
当時は全国からエリートが集まり、入校倍率も55名に1人しか入学できない超人気校。
2年間の教育課程で、4000人以上が卒業したそうです。
「若獅子の塔」
14~19歳の若者が、「鉄の棺桶」と揶揄される、
世界的に見れば時代遅れな戦車に乗って、
サイパン島などの地獄の戦地で、
その命を散らせたのです。
終戦後、生き残った生徒だった方々の集まりが「若獅子の会」をつくり、
ここに慰霊のための「若獅子の塔」を建立しました。
「実物の戦車」
サイパン島戦車部隊に所属していた下田四郎氏が、終戦後に戦車を掘り出して日本に持ち帰ることを慰霊とし、
国との間の交渉を続け、実現させたのが この戦車なのです。
「弾痕」
アメリカのM3戦車は装甲が厚いのに、日本の戦車は薄い。
弾が貫通して中に飛び込んできて。戦死することも多かったそうです。
そんな悲惨な状況も、如実に語る戦車・・。
無傷の戦車よりも、歴史的価値が高いことは言うまでもありません。
「心」
碑がいくつかあり、10年以上経っているものも多いのに・・・
どれもピッカピカ。
←こちらも建立して8年たっているのに、
周りの風景が写りこんでいるピカピカ具合。
週に1回でもこうはなりません。毎日、水をかけて、心を込めて磨き上げている方がいる証拠をハッキリと感じました。
「地元の方にお話を聞く」
毎年お正月に若獅子神社にお参りを欠かさない、ハートランド朝霧のナカジマさんにお話を伺ってみる。
戦時中は「日本は最強の神の国」「連戦連勝」「負けることは絶対にない」「だから、食料や燃料は全部戦地に送ろう!」という真実ではない情報のみがあふれる状況で誰がそれに異を唱えられるでしょう。
戦死する瞬間にも「天皇陛下万歳!」よりも「おかあさん!」という子が多かったそうです。
そんな時代があったうえで、今の時代があり、今の我々があります。
慰霊の念とともに、忘れてはいけない、繰り返してはいけない過去の事実を知ることは大切だと感じた次第です。
Comments
若獅子神社を検索していたら、まかいの牧場さんに行きあたりました。
富士市伝法在住の還暦おばさんです。
天国に居る父は、大正15年生まれ、16歳で名古屋の工場に勤務中に、陸軍少年戦車兵学校の事を知り、入校、18歳の時ルソン島へ派兵され、片眼を負傷失明、身体のあちこちに銃弾の破片を受け、マラリア罹患するも、奇跡的に生還した、佐野敬一という者です。
泣き言を言わず、人前で涙など流す姿を見た事は無かったのですが、終戦記念日近くにテレビから流れる戦時中の映像を見ながら、私に背を向けてはいましたが、戦死された皆様の事を悼み、己を責め涙している姿を垣間見た時には、胸が痛みました。
戦友の皆様も、高齢化し、一人二人と他界され、父が他界してからは、例大祭、供養祭等の情報もわからないまま、コロナに。
今は供養祭等、どうされているのか気になり調べていました。
コメント欄を見つけ、書かせていただきました。
唐突で申し訳ありませんでした。